AI・人工知能について 4・セーフティネット

人工知能AI・ロボットと人類の未来・3

人工知能やロボットに取って代わられやすい業種で働く人は、かなり「意識高い系」でがんばらないと生き残りはむずかしいようです。または、機械にマネのできないクリエイティブな職業に就くか。

いずれにせよ、ハードルが高いようで、機械に仕事をうばわれるすべての人が助かる道とは言いにくいと思われます。

ならば人間の共同体として、人工知能やロボットによる社会変革に対処する方策はないものでしょうか。ここで少し考えてみましょう。

 

楽観論・「おのずと新たな労働需要が生み出される」

人工知能やロボットによる労働力の置き換えが、テクノロジー進歩の加速に比例して加速度的に進むという悲観論があります。国連もこれを危惧しています。

しかしその一方、置き換えはさほど急速には進まないという見方もあります。機械にとってナマの現実はまだまだ厳しいということなのか、機械による置き換えが急がれる産業領域でも、なかなかうまくいっていない事例が散見されます。

たとえばアメリカでは、自動運転の公道実験中に、車が人をはねて死亡させてしまう事故が複数回起きています。これではまだまだ機械には任せられません。

また、機械は生産ラインを流れてくるどれも同じ形をした物体に加工する作業は得意ですが、性状に「ブレ」がある物体に対する操作は苦手です。これもいずれAIが何とかできるはずですし、現に食品加工工場などではAIが形のバラツキがある製品の加工に対応しているケースもあります。しかし、こうしたケースはまだ少なく、依然としてむずかしい分野はたくさんあります。

たとえば人手不足が深刻で機械化の導入が急がれる農業分野。日本も国を挙げて取り組んでいますが、自然の中、動植物の形や位置はさまざまで、まだまだ人手による農作業を機械が代行できるようにはなっていません。

このように、分野にもよりますが、機械に置き換わるペースが遅くなることもあるわけです。

 

そうしますと、たとえば農業分野では、パワードスーツのように人の身体の動作をアシストするようなマシン(外骨格アシスト機)や、人間による監視やオペレーションを必要とする半自動のロボットの導入に、しばらくの間はとどまるかもしれません。

だとすると、従来の農作業にくらべてずっと楽な、「マシン・アシステッド農作業のオペレーター」という労働需要が生まれます。

車の自動運転の領域でも同様に、車に同乗、あるいは遠隔監視や操作を行う人間が当面の間、必要になることも考えられます。

 

このように、人工知能やロボットの普及が、今はまだない新たなビジネスを生み出し、労働需要を生み出していくことも考えられます。

 

機械化による大量失業の根本的問題点

しかし、そうした労働需要は一時的なものでしょう。いずれ人工知能が高度化すれば、自動運転も農作業も機械で自律的にこなせるようになります。

それに、上記のような労働需要はボリュームとして小さく、機械に取って代わられて失業した人々のすべてを吸収することはとてもできないでしょう。

 

ところで、1つの社会の中で、必要な労働力のかなりの割合が機械に取って代わられたとしたら、どんな問題が起こるでしょう。

前の記事に書いたように、人工知能やロボットは最初の導入時にややお金がかかりますが、その後の収益的支出は少額です。また人間とちがって、彼らは賃上げを要求したりしません。機械には「欲」がないからです。

企業にとってはありがたい、この「欲がない」という部分が、経済的には大問題です。というのも、経済学の大前提は「人間には欲があり、利益を求めて活動する」ということ。機械はこの前提から外れます。

人工知能やロボットが、お金をもらえなくても文句を言わないのは、自分たちがお金を使う必要がないからです。電気さえ通っていれば、お腹が空くこともないのですから。

つまり、機械たちは「お金を使う=消費する」主体にはなりえないということです。

しかしながら経済というものは、「生産」と「消費」が両輪のように表裏一体となって回転するものです。生産だけを行って、それを誰も消費しない経済など成り立ちません。欲があってお腹も空く人間が、消費者としてどうしても必要なのです。

では、人工知能・ロボット労働力が広く普及した社会において、人間はいかにして消費者たりうるでしょうか。自明なのは、その人間がお金を持っていなければならないということです。

AI・ロボット社会が持つべき利害調整の枠組み

AI・ロボット社会において、人間が消費者であるためには、その人間がお金を持っていなければなりません。言い換えれば、仮にひとつの国の中で労働力のほとんどが人工知能やロボットに占められていたとしても、人間にお金が回る仕組みが必要になるのです。

その仕組みの方向は、ホーキング博士の言葉の中に示されています。すでに2回も引用しましたが、

 

「機械によってもたらされる富が分配されれば、全ての人が仕事から解放されて自由な時間を贅沢に楽しむことが出来るでしょう。逆に、機械の所有者が富の再分配への反対に成功すれば、ほとんどの人がどうしようもないほどの貧困におちいるでしょう」

 

という言葉です。「機械によってもたらされる富の再配分」というのがポイントになります。

 

AI・ロボットで利益増大した企業による再配分

「富の再配分」という言葉を素直にとらえれば、「儲かっている者が利益の一部を吐き出し、社会に還元する」という話になります。この場合、AI・ロボットの導入により利益を増やした業界が社会全体にお金を出すことになります。これはまず、「法人税」という形で実現されるでしょう。「税金」というものは、もともと富の再配分をその機能の1つとしていますので、自然なことです。

しかし、それだけで人間の購買力を保証できるでしょうか。AI・ロボットの導入により、それほど劇的に利益が増え、法人税が増えるとも思えません。さらに、企業というのは法人税をケチる節税テクニックにたけており、巨額の利益を上げながら納税はほんのわずかということも珍しくありません。ですから、法人税増収分を原資としてできることと言えば、決して十分とは言えない金額のベーシック・インカムや、一時的に実施される給付金くらいでしょう。経済の一翼を担う消費を十分に支えられるとは思えません。

 

社会的セーフティネットへの投資

上記のような税金の使い方は「ばらまき」とも言われ、あまり好ましいとは考えられていません。もう少し政策的な使い方を考えましょう。

すると、AI・ロボットによって仕事を失った人々を、別な成長分野の産業セクターに振り向け、再就職させる、あるいは、より理想的には、仕事を失う前に成長セクターへの転職をうながしていくという趣旨の施策が思い浮かびます。具体的には、ハローワークや民間団体をプラットフォームとして、成長セクターに軸足を移すために必要なスキルを伝授するプログラムを実施し、このプログラムを受講する間、人々に「健康で文化的な最低限度の生活」に足る給付金を支給する、といったシステムになるでしょう。似たような施策は日本ですでに実施されたことがありますので、プログラム内容を検討し、給付金の金額を大幅に増やす方向で改良すれば、効果が上がるでしょう。

 

ただし、この施策が有効になるには「次なる成長セクターが見つかっていること」が条件になります。それが何かわかっていないことにはプログラムの作りようもありません。

 

それに、法人税増収分だけで十分な金額が得られるかも疑問です。もしかしたら、AI・ロボットで利益を増やした企業に、さらなる投資を求めなければならないかもしれません。ですが、それはそれで「リッチマンズ・チャリティー」を当てにしていることになり、政策としては不安定です。

 

施策の安定した継続性を考えるなら、収益を上げながら続けていけるビジネスとしての枠組みにする方がベターです。

ということで、次の記事でこの「ビジネスとしての枠組み」を考えます。